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大阪高等裁判所 昭和52年(ラ)305号 決定 1977年12月21日

抗告人 下村悦子(仮名)

主文

原審判を取消す。

抗告人の氏「下村」を「岩田」と変更することを許可する。

理由

一  本件抗告の趣旨と理由は別紙(略)記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  本件の事実関係は原審判理由欄2に記載のとおりであるから、これを引用する。

2  右事実によると、抗告人は下村宏との協議離婚によつて婚姻前の氏に復するに当り、民法七六七条二項所定の届出をすることによつて離婚の際に称していた「下村」の氏を称することとしたが、右婚氏の継続使用は後日婚姻前の氏に復帰できると軽信したことによるため、その後に生じた原審判理由欄2に記載の事情により、僅か九か月余にして右婚姻前と同一の氏に変更するのを希望するに至つているものということができる。

3  ところで、氏のもつ法的社会的機能からすると、それによつて生ずる呼称秩序の安定を計ることが必要であるから、たやすくその変更を許すべきでなく、このことは離婚によつて復氏すべき者が婚氏の継続使用を選択しながら、その後婚姻前と同一の氏に変更しようとする場合にも該当するのであつて、右氏の変更につき戸籍法一〇七条一項によるべきことはいうまでもない。

もつとも婚姻によつて氏を変えた者が離婚によつて婚姻前の氏に復することは、離婚の事実を対外的に明確にし、新たな身分関係を社会一般に周知させることに役立つので、これが原則であり、婚氏の継続使用は右以外の必要によつて認められた例外というべきものであるから、たとえ婚氏の継続使用を選択した者であつても、日時の経過等によつて右氏が離婚後の呼称として社会的に定着し、これによつて新たな呼称秩序が形成されたような場合を除き、婚姻前と同一の氏に変更することはむしろ氏のもつ法的社会的機能から望ましいものと解される。したがつて、右のような婚姻前と同一の氏への変更については、戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」に該当するか否かの解釈に当り、通常の氏の変更よりもその解釈を緩和すべきものと解するのが相当である。

4  これを本件についてみるに、抗告人主張の事由は、前記認定のとおり、抗告人において婚氏継続の制度についての理解が十分でないため安易に婚氏の継続を選択したことによつて生じたもので、また右選択によつて現に抗告人が蒙つているという不利益も右制度から生ずるものとして予測可能なものにすぎないものであるから、これをもつて直ちに前記「やむを得ない事由」に当るものといいがたい。

しかし、前記認定の事実によつて認められる、(1)前記氏変更の必要性、(2)抗告人が右婚氏の継続使用を選択した昭和五一年八月一六日は、右制度が施行された同年六月一五日から僅か二か月を経過したばかりで右制度が広く、一般に理解されなじまれるに至らない時期に当り、これを利用する者にとつても誤解混乱を避け得ない状態にあつたこと、(3)また抗告人が離婚後婚氏を継続してから本件申立をするまでの間僅かな期間を経過しただけでこれが離婚後の氏としては未だ社会的に定着してなく、これを変更するについて呼称秩序の混乱はほとんどないことを併せ考えるとき、抗告人の婚姻前と同一の氏への変更については前記「やむを得ない事由」があるものとし、その許可を求める本件申立を認容すべきである。

5  よつて、本件抗告は理由があるから、家事審判規則一九条二項により、本件申立を却下した原審判を取消したうえ、抗告人の氏を婚姻前の氏に変更するのを許可することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村瀬泰三 裁判官 高田政彦 弘重一明)

(参考) 原審(大阪家 昭五二(家)一五一五号 昭五二・七・二七審判)

主文

本件申立を却下する。

理由

1 本件申立の趣旨は申立人の氏「下村」を「岩田」と変更することの許可を求める。というのである。

2 本件記録中の筆頭者を下村宏及び申立人とする戸籍の謄本各一通及び申立人本人審問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)申立人は、下村宏と夫の氏「下村」を称する婚姻関係(昭和三四年一二月一一日婚姻届出)に入る迄、その氏が「岩田」であつたが、昭和五一年八月一六日大阪市城東区長に対し、長女(昭和三七年一月二一日生)の親権者を下村宏と定めて同人との協議離婚を届け出るに当り、戸籍法七七条の二の届出を為すことによつて、離婚の際に称していた氏「下村」を称することとし、長女を申立人の手許に引き取つて監護養育しながら現在に至つていること、(2)申立人が本件を申立てた動機乃至事由としては、(イ)申立人ら離婚当時、長女が中学校に就学中であつたところ、下村宏から長女が中学校を卒業するまでの間申立人の氏を「下村」と称するままにしておいて欲しい旨頼まれ、申立人もこれに同意して離婚後も「下村」を称することとしたのであるが、昭和五二年三月長女が中学校を卒業し同年四月高等学校へ進学するに及んで、高等学校へは当初から長女の親権者を下村宏として届けてあるため、申立人が「下村」を称する必要がなくなつたこと、(ロ)申立人と下村宏とはいずれも大阪市に勤務する地方公務員であるが、申立人が離婚後なお「下村」を称しているところから、職員名簿の記載上下村宏と同氏の欄に記載されているため、現在なお申立人が下村宏の妻であると誤解する者が居るなど、紛らわしい事態が生じているが、斯かる事態を解消したいこと、(ハ)申立人が「下村」を称しているところから、下村宏が復縁する意思のない申立人に復縁を迫つたり、または「申立人が復縁しないのであれば『下村』を称するな」などと、申立人やその弟らに言つて来るありさまであるので、申立人が「岩田」を称するようになれば、斯かることを言つて来なくなるであろうと考えられること、(ニ)申立人の弟らも申立人の氏が「下村」から「岩田に変ることを望んでいること、などがあること。

3 民法七六七条第二項により離婚後も離婚の際に称していた氏を称することにして戸籍法七七条の二の届出を為した者が、婚姻前の氏を称するために氏の変更を為す場合であつても、同法一〇七条第一項の許可を要するものであることはいうまでもない(斯かる場合に限り氏の変更を容易に許可し得る特別の規定は存しない)。

ところで、申立人が下村宏との婚姻期間である一六年余の間「下村」を称し、同人との離婚後も、仮令同人に頼まれたとはいえ結局は申立人の意思によつて「下村」を称するに至つているのであるから、申立人個人の同一性を認識させるための氏として申立人が「下村」を称することは、社会的にも充分定着しているものと解せられるところであり、また前項(2)に認定の本件申立の動機乃至事由のうち、(イ)は申立人の主観的な便宜乃至必要を事由とするものであり、(ロ)は第三者が申立人個人の同一性を誤認することを事由とするものではなく、申立人が下村宏と離婚したか否かについて誤解されることを事由とするものであるから、離婚そのものを対外的に明確にすることによつて解消すべきものであると解せられ、また(ハ)及び(ニ)は、いずれも申立人が応じなければならぬ義務のないことを事由とするものであり、その他本件に表われた一切の事情を斟酌しても、本件申立について、戸籍法一〇七条第一項所定の氏の変更を許可するに足るやむを得ない事由があるとは解し難いところである。

よつて本件申立を却下することとして、主文のとおり審判する。

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